「にくい」は使いづらいのか

「しにくい」と「しづらい」を、何となく使い分けてきた。その違いが気になるようになったのは新型コロナウイルス検査についての原稿を読んだときからだ。ある検査方法の説明で「検出されづらい」とあった(だいぶ前のことなので記憶があいまいだが、大筋は合っていると思う)。一読して違和感があり、辞書などを確かめてみた。

新聞では接尾語を平仮名で書くけれど、「し難い」「し辛い」であることを思い出せば、違和感の正体は分かる。「話しにくい」のは例えば口に物が入っているからで、「話しづらい」のは周りを気にしているからだ。 物理的な困難と心理的な困難。検査結果を「つらい」と表現されると変だなと思うわけだ。

気になって以来、現場記者の原稿を読むときは「にくい」「づらい」がハイライトされているかのように見えた。「づらい」を「にくい」に直すことがほとんどで、逆はなかったように覚えている。「にくい」がより客観的ということもあるだろうが、もしかして若い記者の語彙には「にくい」はないのかもしれないとも思った。「にくい」は「憎い」を連想させるので、使いづらいのだろうか。これはちょっと飛躍しすぎだが、書いた記者に聞いておけばよかったと思う。

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