10月末に世界のウチナーンチュ大会が開かれる。沖縄は出移民の地である。世界各地に「ウチナーンチュ」が散らばっている。沖縄県が主催して、彼らが集うイベントが世界のウチナーンチュ大会である。5年に一度開かれるこのイベントのたびに、血統なるものの虚ろさをしみじみ思う。
父方の祖父は、父が中学生のときに亡くなった。祖父の兄たちは戦前ハワイに渡り、最後に祖父を呼び寄せようという時には戦況が悪化していて渡れなかった。一人沖縄に残った祖父は祖母と結婚し、私が生まれた。
ウチナーンチュ大会に合わせて、間柄を聞いても一度では理解できないほど遠い親戚が訪ねてくる。片言の英語と身振り手振りで意思の疎通を図る。顔立ちは似ているのに、言葉も振る舞いも外国人である。移民100年イベントの取材で行ったブラジル、アルゼンチンでも、例えば中高生の舞台を見て、馴染みある外見と中身のギャップを感じて興味深かった。
もしも祖父がハワイに渡っていたら、私もアメリカ人だったかもしれない。もちろん、祖母とは出会わないわけだから、今の私とは違う遺伝的な存在ではあるが。その遺伝的素質を使って、例えばハワイの環境の中で膨大な選択をして自分を創り上げていたことだろう。今と違う人間になっていたとして、どの程度違うのか、どこが同じなのか。考えても仕方ないが、考えると面白い。
そういうわけで、血統だの、日本人として云々などということには一切関心がない。
「アメリカ人だったのかもしれない」の記事について
私には祖父や父がいなかったので、代わりに高校担任の先生の顔をよく思い浮かべてました。心の中でイメージできる存在がいる、それだけでいいのかもしれません。
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ウチナーンチュ大会と慰霊の日は、自分のルーツや歴史とのつながりを感じる機会になっています。