問い掛ける見出しが多いわけ

学校での新聞講座の内容をうんうんと考えているときに浮かんだフレーズが「新聞は本文より先に答えが書いてある」だ。答えは、見出しを指している。この記事で言いたいことはこれだと、先に見出しで要点を掲げているので、見出しだけ読んでも主旨は分かる。全ページの見出しだけに目を通し、気になった見出しの記事本文を読めばよいと説明を続ける。全部読まないといけないと律儀に考える人が案外多いと事前のヒアリングで知ったからだった。

「修学旅行で楽しかったこと」などという、作文のタイトルのような見出しをつけると、これは見出しではないとデスクに書き直しを命じられる。楽しかったことは何かと打ち出すのが新聞の見出しだからだ。

ネットの世界では逆に、答えは見出しには入れない。「修学旅行で楽しかった三つのこと」「なぜ修学旅行は楽しいのか」という具合だ。定期購読である新聞と違い、本文を読んでもらうことが収益になるネット記事では答えが見出しにあると収益が上がらないからだと、新聞講座では語ってきた。あれから数年たった今、別の理由もあるように思う。

問い掛けられると脳に「空白」ができるので、脳はそれを埋めようとして無意識に考えてしまうという特性があるのだそうだ。「質問  脳」で検索すると、この原理を応用して自分に問い掛け続けることで脳を活性化しましょうという高齢者向けの医療系記事が出てくる。ネットの問い掛け見出しは、この応用編でもあるのかもしれない。

とは言え、おやなんだろうと読んだネット記事では、問い掛けの答えが当たり前すぎて拍子抜けすることが多い。ひいき目もあるが、紙の新聞の、答えを先に書く潔さの方が好きだ。答えを知ることがゴールではない、その先どうするかを考えてほしいという姿勢の現れだ。というのは過大評価だけれども。

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