「あっていい」の絶妙な距離感

「あっていい」という文字列を見たのは職業生活も終盤のことだった。そういう表現は、文字通り「あっていい」のだけれど、自分で使うことも、書かれた文章を読むことはなかった。読んだのは共同通信が日々送ってくるニュース原稿の扱いについて説明した文書で、だった。

地方新聞は、自分のテリトリー以外の記事は共同通信の配信記事を使う。年間いくらという加盟料を一般社団法人である共同通信に払うことで、配信される記事を載せる権利を得る。どの記事を使うかは地方新聞(加盟社)が判断する。膨大な日々の配信記事に、共同通信が序列を付けた文書を夕方に送ってくる。そこに「あっていい」を発見した訳だ。

「一面にあっていい」などの使い方を覚えている。一面は、各新聞社が推す4〜5本の記事が載る、新聞の顔だ。どの記事を一面に載せるかは、各新聞社の考え方による。なので、共同通信としては「一面に載せるべき記事」とは書かず、「あっていい」になる。あくまでも判断の主体は読み手であるけれど、書き手としてはこう考えていますよ。そんな奥ゆかしいというか、絶妙な距離感をにじませた文章はあまりないので記憶に残っているのだろう。

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