記事を書くのは共同通信の「記者ハンドブック」にならってきた。多くの記者がいて、それぞれの書き癖をストレート記事で出していたのでは読みにくいので、こうした基準があるのは意味があることと思う。何々する「半面」は、「反面」と書きたいところだが、まあ許す。
中には、これは嫌だなと思う用語統一もあり、記者以外、外部の方が書いた原稿であれば直さずに通すということもあった。
で、今回の主役である「出会う」と「出合う」。出会うは人に、出合うは物にというはっきりした使い分けがある。それはそうなのだが、出合うなんて、出合い頭の事故、以外に普通の文章で読んだことがない。この違和感の強さは何だろうと考えていると、物との出会いと書く時点で、その物は単なる物ではなくて擬人化されているからなんだろうと思い当たった。出会うより、出会いという名詞のほうがより擬人化度が高い気がする。個人の感想です、かな。
ある原稿で、物と出会わせてみたら、出合いに直されていた。元に戻してくれと編集部に言うほどのこだわりはない。ああ、ここはハンドブックを参照しているのだなとぼんやり思う程度だ。いつも以上に何が言いたいのか分からない記事になってしまった。