一番古い記憶を描写する

先日引用した『自分づくりの文章術』(清水良典、ちくま新書)は実践例を挙げて勧めている。その一つ「最初の記憶を再現する」をやってみることにする。この実践は、記憶していることをできる範囲で描写することを求めていて、記憶の周りでぼやけている背景は書かない。といっても、読む人には背景がないとわからないので予め説明しておく。小学校低学年の頃、教室の壁の高い所に、児童全員の自画像が張り出してあった。その絵を的にして、チョークを重しにして画鋲でダーツを作って投げつける遊びを男子何人かでやっていた。その現場を年配の女性担任教師に押さえれてしまった。

先生はとても怒っているようだった。男子たちは並ばされた。見上げた壁には、ダーツが刺さった自画像があった。あなたたちがやったことはこんなことだというようなことを言って、先生はダーツを男子の胸元に突きつけていった。自分の目の前に先生が来た。画鋲を刺されたかどうかは覚えていない。ただ、先生の怖い顔と、画鋲が胸に近づいてくるどきどき感だけを覚えている。

正確に言うと、これが一番古い記憶ではない。強く心に残っている記憶の一つだ。その結果、行動を改めたかどうかは覚えていない。ただ、世の中には自分が考えた以上の意味を読み取られる場合があると知った。もちろん、これは後付けの解釈で、画鋲を突きつけられた当時は何かとても悪いことをしてしまったのだなとぼんやり思っていた。

もっと古い記憶が出てきた。就学前だったか。大阪の親戚の家に行った時。家では食べないトーストが朝ごはんだった。同じ2階建てだったが、大阪の家は階段がすごく急で怖かった。アルバムを見ると、その時に近くの公園で撮った写真があるが、公園に行ったことは全く覚えていない。その大阪旅行の記憶はトーストと急な階段に尽きる。

こんな記憶の断片を抱えながら生きていくのだなと、まとめてしまうと陳腐になるが、そう改めて思った。

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