回収しない物語

教養動画配信の「テンミニッツTV」(月額1375円、6月から1980円)を楽しみにしている。今回は武田将明・東京大学総合文化研究科准教授の講義「『ロビンソン・クルーソー』とは何か」を見て考えたこと。

武田さんが、「『ロビンソン・クルーソー』は有名だが、読んだ人は多くはない」というように、私もタイトルと無人島で暮らすという筋を知っている程度だ。発表されたのは1719年。琉球では玉城朝薫が組踊を初演した年で、日本では前年に徳川吉宗の享保の改革が始まっている。けっこうな昔だ。

講義にはたくさんの発見があったけれど、全部書くと営業妨害になってしまうので、一つに絞る。クルーソーが無人島に漂着して15年。砂浜に人間の足跡一つを見つけてクルーソーはひどく動揺する。足の数だけ並んでつくはずの跡が一つだけ、ある日突然現れたのだ。この大きな謎を軸に物語は急展開……せずに、そのまま最後まで足跡には触れられないそうだ。

伏線や回収という意識を持って物語を読むと、気持ちの落ち着かない小説なのだな。たくさんの伏線が最終盤で次々回収される爽快感を暗に期待して小説や映画を見るのに慣れると、あの足跡はなんだったんだと思うだろう。実際、過去に多くの人が多くの解釈を提示してきたそうだ。しかし、武田さんを納得させる解釈はなかったと言う。そこで武田さんがたどり着いたのは解釈することがこの物語の楽しみ方ではないという結論だった。

なるほどと思う。実際の人生には回収されない経験の方が多い。ああ、中学3年の時にしたあの口げんかが今につながっているのか、なんてことはない。現実の人は特に意味もなく死んでいく。だからこそ、筋がしっかり構築され、伏線がすっきり回収される架空の物語の方にひかれていくのかもしれない。

テンミニッツTV

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