子は10人分の座持ち

正確な言い回しは忘れてしまったが、沖縄のことわざに子どもは10人分の座持ちであるという意味のものがあったと覚えている。10人じゃないかもしれない。でも、一人前以上なのは確かだ。親戚などの集まりで小さな子がいれば、それだけで座が和んだり、気まずさが紛れたりするから、実感のこもったことわざだと思う。

自分史に興味を持ち始め、まずは自分の年表をつくっている。育児日記をひっくり返したり、Eevenote(調べると2010年に使い始めているようだ)を見返したりしている。そして、このことわざを思い出した。

父が闘病の末、亡くなったのは2008年。夕方の看取り、病院から帰ってきたのは夜。火葬や告別式の手配で忙しかったはずなのに、3人それぞれの育児日記にはふだん以上の分量を書いていた。火葬の日のページ。3歳だった娘と、同い年の姪はいつも通り走り回って大声も上げていた。その声がどれだけ一同の慰めになっていたことか。帰ってきて寝るとき、娘は「じいちゃんも帰ってきたらよかったのに」とつぶやいた。8歳の長男は泣き止んで2段ベッドに入っていたが、それを聞いて頭から布団を被った。その娘は昨年、学校の自己紹介カードの「忘れられない人」に「じいちゃん」と書いていた。どれだけ覚えているのかは分からない。覚えている姿を忘れないでいてほしいと思った。

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